2011年

9月

26日

「歌うパワースポット」サンプラザ中野くん Interview(2011・9)

「サンプラザ中野くんのせたがやたがやせ」はこうやって始まった

 

 去年(2010年)の10月から、Ustreamとエフエム世田谷の完全連動番組「サンプラザ中野くんのせたがやたがやせ」がスタートしています。

 

●黄色い「せたがやたがやせ」Tシャツのはじまり

 

 うちのマネジャーの“ネイキッド”小林は、「農業」や「野菜」の時代が「これからくる!」と思っていて、「それをエンターテイメントに結びつけるにはどうしたらいいか?」とか、いろいろ考えるなかで、VEGEROCK(「音楽」と「食」のコラボレーションで「野菜」や「農業」を応援するプロジェクト)を考えついたりしています。

 

 2年ぐらい前かな、その小林から、「爆風スランプの『せたがやたがやせ』は、タイトルも曲も『農業』な感じがすごくいいので、中野くんの今年のキャッチフレーズは、せたがやたがやせでいきましょう」と言われたんです。

 

 それがきっかけで、「せたがやたがやせ」って書いた黄色いTシャツを着て、いろいろやっとったわけですよ。そのうち、だんだんとおれもその気になってきて、「いやー、おもしろいなー」と思って。

 

 ●Ustreamの新しい流れに乗ってみようという試み

 
 そのころUstream放送が一気に盛り上がってきてました。そらのさんの「ダダ漏れ」を観て「これはすごいなあ」と思ってました。

 

 iPhoneが1個あれば個人でも簡単に放送できちゃう。しかも全世界に同時配信してる。しかもほぼ無料。「これはすごい。市民が放送局を手に入れた」と思いました。これを使わない手はないな、とも。

 

 で、あるとき、「そうだ! エフエム世田谷に、Ustreamと連動したラジオ番組の企画を持ち込んだらどうだろう。ウケるんじゃない?」って思って、話を持っていってもらったんです。そしたらですね、やれることになったんです。


●ミュージシャン向谷実さんのアドバイスで「世界初」

 

 Ustreamに関しては、ミュージシャンの向谷実さんがダダ漏れレコーディング中継をやってたりして、「すげえ!」と思っていたんですね。「じゃあ、向谷さんにいろいろ訊いてみよう」ということになって、そしたら向谷さんが快く協力してくれて、著作権に詳しい向谷さんにいろいろ教わることができて、「ラジオの本放送とUstreamが完全連動した放送スタイル」が可能になったんです。


 というのも、著作権法の関係で、Ustreamの生放送で普通のレコードを流すことは御法度なんですね。ラジオ番組をUstreamで中継する場合、本来は、ラジオで曲を流せてもUstreamでは流せないわけです。だからUstream放送では、曲を流さないかわりに、出演者たちがなにかしゃべっていたりするわけ。


 ところが中野くんの場合は、(レコード会社の)ソニーから出したレコードの音源とは別に、(所属事務所の)アミューズが持っている音源が何曲かあって、アミューズが「OK」を出してくれたので、Ustreamでも中野くんが歌った音源を流しながら放送できるわけです。

 

 向谷さんからは「『せたがやたがやせ』は、世界初のUstreamとラジオの連動放送だ!」と認定していただきました。自慢です(笑)。

 

 

 ◎関連情報

「サンプラザ中野くんのせたがやたがやせ」は毎週火曜日に、Ustreamでは21時30分から、ラジオの本放送(22:00~22:45)を挟んで、23時前まで生放送

・エフエム世田谷(83.4MHz) http://www.fmsetagaya.co.jp/

・Ustream http://www.ustream.tv/ 「spnk」で検索。過去の放送も視聴できる

 

 

 

やりまんしょう! 一人一票実現応援歌「ONE for ONE ~#ippyoの歌~」

 

 向谷さんには「せたがやたがやせ」に何度も出ていただき、「さよならヤマハ渋谷店コンサート」(2011年1月19日)に呼んでいただいたりして、それからですね、濃い関係になってきました。


●向谷さんが持っている“録って出し”の凄いシステム

 

 向谷さんは自身でレーベルを持ったり、レコード会社からレコードを出したり、いろんな活動をしている方なんですが、さっき話したダダ漏れレコーディング中継とかでつくった作品を、なんと、「完成してほぼ数時間後にiTunesストアで売り出す仕組み」を持っているんです。「このシステムはすげえなあ」と思ってたんですね。やっぱこの時代、スピードって重要じゃないですか。


●一票の価値を調べてみたら……

 

 「さよならヤマハ渋谷店コンサート」と同じ頃、人づてに、「一人一票実現国民会議」というものがあって、毎週日曜の午後9時~10時半に「#ippyo つぶやき祭り」への参加を呼びかけていると聞きました。Twitterで、一人一票実現に関してツイートしよう。ツイートが多ければランキングに入るし、ランキングに入れば話題になる。「そうやって少しずつ世の中に浸透させていこう」という趣旨です。ツイッターデモと呼ばれています。

 

 その話を聞いて、一人一票実現国民会議のウェブサイトを見に行ったわけです。でね、自分の一票の価値を調べてみたら、参議院選で鳥取県の選挙権を一票とした場合、0.23票の価値だったんです。一票の価値が、4分の1くらいしかないわけ。「おれはこんなに大人なのに……それなりに税金も払っているし、苦しんで生きているのに……国民としての権利が……なんで鳥取の人の4分の1しかないんだ~っ!!」と、たいそうショックを受けました。


●「曲をつくってください」「やりまんしょう!」


 そのショックについてツイートしたら、どこかの学生さんから「曲をつくってくださーい」というツイートがあって。で、おれはツイートしたわけです、孫正義さんみたく。「やりまんしょう!」と(笑)。

 

 家でギターでつくったらわりと良さげなのができたので、向谷さんに「曲にしてほしい」とお願いに行ったんですね。そしたら「いいよー、やりましょう」ということになって。レコーディングは2月20日でした。夜明け近くに完成して、朝6時くらいにはiTunesにアップされて、国内アルバム部門で1位になりました。


 ◎関連情報

・さよならヤマハ渋谷店コンサート http://www.sayonara-shibuyaten.com/

・一人一票実現国民会議 http://www.ippyo.org/

・音楽で広めよう一人一票 http://www.ippyo.org/topics/2011030901.html



東日本大震災と「TOMOSHIBI -地震が来たら-」

 

 3月11日に地震、12日に「(歌を)つくろう」と思って、13日に風呂に入ってたらできて、15日の火曜日には「せたがやたがやせ」でギター1本で演奏しました。

 

●打ち合わせを見たミュージシャンが「やります!」。一気にレコーディングへ

 

 その「せたがやたがやせ」を向谷さんが聴いてくれてて、「やろう」ということになって、3月18日の昼間、向谷さんのところに行って打ち合わせをして、その様子をダダ漏れしてたら、ミュージシャンが聴いてくれてて、「わたしもやります」と。レコーディングスタジオの人も「タダでいいですよ」って。

 

 「じゃあ夕方からやろう」ということになりました。その日、都内は計画停電していて、スタジオ「Oasis Sound Design Inc.」に行く間に、信号が止まっていたりしました。スタジオの方は、電源車をバックアップで用意してくれていました。で、朝までかけてレコーディングしました。ミキサーさんもタダでやってくれました。完成の数時間後にはiTunesにアップしました。

 いや、もう、ほんとうに、みなさんのおかげです。

●いろんな国の言葉で歌われ、アプリは世界50か国でダウンロードされた


 本当にあの……絆っていうか、ホントにこんな大変な震災の、非日常のなかでしか繋がれないことなので……そういうことでは……みなさんが震災を共有してくれて、協力していただけました。

 

 この歌の弱点であり、強みでもあることは、とにかくみなさんに無料でやってもらえて、無料で配信していることにあると思います。無料なので(被災者の方々には)一銭もお役に立てないです。だけど無料でやってるから、みんな無料で歌ってくれる。それで広がっていってると思うんです。

●時代を共有するツールとしての歌の力


 われわれが信じているのは、結局、歌の力です。「歌の力とは何か?」というと……今回「歌の力って何だろう?」ってすごく考えて、わかったことがあるんです。「歌は時代を共有するツールである」と。

 

 たとえば自分が初恋のときに聴いた歌を聴くと、初恋の時代に帰るじゃないですか。 その時代を体験した人は、その時に聴いた歌を聴けば、その時代を思い出せるし、その時代にいた人と、その曲を通して時代を共有できる。


 2004年に中越地震があったとき、2か月くらい後に被災地の長岡に行ったんです。そしたら、「よく来てくれました」と声をかけてくれて、「中越に関して首都圏では報道されてますか?」「みなさん中越の話をされてますか」って、会う人みんなが聞いてくるんです。「してますよ」というと、「よかった。忘れられてないんですね」。──そのときわかったんです。「忘れられるのがこわいんだな」。「無視されちゃうのがいちばんがっかりするんだな」。「見捨てられた感を感じるのがこわいんだな」って。


 そういう意味でも、この歌をちょっとでも聴いてもらって、覚えてもらって……たとえば数か月後とか数年後に、どこかのラジオから流れてきたとき、「あ、あのときの歌だ」と。そのときに、「みんながんばってるかなー」「みんながんばってほしいなー」というような、気持ちなり、祈りなりを、被災地に向けて発してもらえることで、役に立つと思うんですね。


 この歌が、忘れないための道具、思い出すための道具になれば、と思っています。復興には長い時間がかかるかもしれませんが、この歌でたくさんの人が「震災」を共有していることは、被災地に励ましをずっと送り続けることにもなると思いますから。

 


 ◎関連情報

・「TOMOSHIBI -地震が来たら-」公式サイト  http://www.mukaiyaclub.com/music/tomoshibi/ (※音が出ます)

 

・各国語バージョンのアーティスト

 中国語ver.─BEYONDのボーカルでシンガーソングライター Wingさん

 英語ver.─Don Grusinさん(ボーカルはFemke WeidemaさんとAshley Maherさん) 

 イタリア語ver.─日本を代表するメゾソプラノ歌手 坂本朱さん

 ベトナム語ver.─ベトナムのポップ界を代表するスター ラムチューンさん

 ウクライナ語ver.─歌手・バンドゥーラ奏者。日本でも活躍 ナターシャ・グジーさん

 仏語ver.─「英語であそぼ」、車内英語アナウンスでお馴染み クリステル・チアリさん

 ネイティブ・アメリカンver.──ハバスパイ族のシャーマン ユークラアさん

 ギターインストver.──ギタリスト クロード・チアリさん



「歌うパワースポット!」中野くんの慰問ミニライブ


 震災のあと1か月は、慰問ライブには行っていません。「いったいどうやって行けばいいのだろう?」と思っていたら、石巻の知り合いが、「この状況を見に来てほしい」と言ってくれたんです。「小さいトコでいいから、演奏したいので、できるところありますか」と聞いて、とある神社の社務所のなかで演ったんです。

 

 まあ……だいたい想像していたけど、やっぱ凄かったですね。瓦礫とか、車とか、船とか……。それは生々しかった。


●ファンが“復興の中心”となる年代。「おれが行かなきゃ誰が行く!」

 

 阪神大震災のときは行けなかったんですよ。ショックが大きかったのと、自分は関西じゃないし、いろいろこう……騒がしいだろうし、迷惑をかけるのは申し訳ないな、とか、行くことに関してすごいネガティブなことしか思い浮かばなかったんです。

 

 だけど今回は、東京も激しく揺れたというのもあるんですけど、自分のファンの年代が、まさしく復興の中心となる年代じゃないですか。だから「これは行く価値あるかな」と思って。で、おれは今ほんとに自由に動けるし、ギター1本の演奏でも歌える歌手だし、認知度のある歌も持っている。「おれが行かなきゃ誰が行くんだ!」って思ったんです。


●鍛えられたのは、この日のためなのか?

 

 慰問ミニライブには「小回りのきく形で行こう」と思ってます。デビュー前とかに、ライブハウスで5人を前に演ったり、飲食店の片隅で演ってお客さんに「うるさい!」とか言われたりしてたので、(ストリートライブのような状況で歌うことも)ぜんぜん大丈夫。「このために鍛えられたんじゃないか、おれは?」みたいな感じですね(笑)。

 

 これまで「どこでもいい、呼んでくれたら行くから」というような感じでやってきました。もちろんこれからも、呼んでくれたら行きます。「歌うパワースポット」サンプラザ中野くんが行きますよー!

 


 ◎関連情報

・慰問ミニライブの模様はツイキャスで http://ja.twitcasting.tv/spnk

・慰問ミニライブ開催したところ

 4月──石巻市 塩竈市 郡山市 須賀川市 新地町

 5月──相馬市 大船渡市 福島市 須賀川市

 6月──登米市 南三陸町 相馬市

 7月──相馬市

 8月──相馬市

 9月──名取市 須賀川市

 

2010年

5月

22日

13年10万キロストーリー

サンプラザ中野くんの スバル インプレッサスポーツワゴンWRX

【お父さんの少年時代と、中野くんの少年時代】

 

 わが愛車、スバル インプレッサが走行距離10万キロを突破したのは、2010年の2月26日でした。買ったのは'97年の春です。『旅人よ ~ザ・ロンゲスト・ジャーニー』(猿岩石のユーラシア横断大陸ヒッチハイクを応援する歌)の印税で買いました。それから12年10ヶ月を経て、10万キロを達成したことになります。

 

──どうしてスバルのインプレッサを選んだのですか?


 当時ぼくが、「スバルがいいな!」「インプレッサがいいな!」と思うようになった理由は、いろいろあります。

 ひとつは父親です。うちの父親が病気になってまして……癌だったんですが、その前から体調が悪くて……そんな頃に、あらたまって聞くわけじゃないんですけど、なんとなく世間話をするような感じで、父親の生い立ちを聞いたりしてたんです。


 うちの父親は山梨県の農家の次男坊で、東京電力に就職するわけですが、戦時中は群馬県にあったスバルの前身、中島飛行機で働いていたらしいんです。その頃はうちの父もまだ少年だったから、「あれ持ってこい!」とかいわれて、お手伝いをしてただけだと思うんですけどね。

 

 中島飛行機というのは、優秀な戦闘機を作っていた、日本有数の飛行機メーカーです。父親から「そこにちょっとだけいて」という話を聞いて、「中島飛行機といえば、スバルのルーツだよね」と思ったんです。

──お父さんを通じて親近感のようなものを感じたんですね。

 

 もうひとつの理由は、子供の頃から、スバルのクルマに対して抱いていた印象です。
 中学生のとき、「技術・家庭」の先生がすごく合理的な人で、彼はスバルのクルマに乗っていました。
 当時スバルは、FF(前にエンジンを積んで、前のタイヤを動かす)の自動車を出していて、それに乗っていた先生が、自分のクルマのエンジンの利点について語ってたわけです。
「FR(前にエンジンを積んで、後ろのタイヤを動かす)のクルマは、前にあるエンジンの動力を、後ろのタイヤまで伝えるために、シャフトを通す必要がある。下にシャフトを通して、そこが盛り上がるから、室内は狭くなる」。

 彼は非常に合理的な人でしたから、「だからおれはスバルを選んだ」というわけです。「FFだから床はフラットで、車内は広々している。こんなに乗ってて気持ちのいいクルマはない。スバルは昔、飛行機を作っていた、日本の技術の粋を集めた会社なんだ。かつて飛行機を作っていたさまざまな技術を、クルマに注ぎ込んでいるんだ」と。

 あと、子供心に、スバル360、「てんとう虫」のかわいいデザインが印象的で、ぼくはスバルに対しては、「合理的」で「かわいい感じ」というイメージを持っていました。ただ、他の自動車メーカーと比べると、華やかさには欠けていましたけど。

 

 

【スノーボードと雪山のために「見栄」は捨てた】

 

 それからもうひとつ、大きな理由があります。
 わたくし30歳の頃からスノーボードをやり始めて、雪山に通うようになったんです。
 雪山を走るとなると、タイヤにチェーンをつけたり……慣れないわたしにとって、それは大変な作業でした。
 雪山には、小さめの外車で行ったりしてたんですけど、それはFR車で、非常にご迷惑をおかけしました。
 もうねぇ、何度も何度もスタック(雪にタイヤがはまって動けなくなる)して、何度も何度もわたくし原因の大渋滞を引き起こして……。「いまのクルマで雪山は無理」と判断したんです。

 それまで、どういう基準でクルマを購入していたかといえば、メインは「見栄」でしたね。「こういうクルマに乗ったらカッコいいんじゃないか?」という基準でした。
 しばらくして、『NAVI』(1984年創刊の自動車雑誌)を読むようになりました(実はインプレッサで10年10万キロを達成したら、『NAVI』の人気連載「10年10万キロストーリー」に応募しよう思っていました。2010年4月号で休刊になってしまったのが残念です)。『NAVI』という車雑誌は、「こういうクルマの選び方もあるぞ」と、ちょっと哲学的な選び方を提案していました。「エンスージアスト(熱狂的ファン・愛好家)」という言葉を使っていましたね。それに影響されて、そういう方向でクルマを選んだりするようになりました。まあ、それも、見栄みたいなものですね。


 つまり、ずっとぼくは、「必要に応じたもの」を買っていなかったんです。

──「必要に応じたもの」を買っていなかった?

 

 子供の頃からアメリカの影響を大きく受けていたために、「奥さんにするなら金髪のボインちゃんだ!」というような、思い込みがあったんだと思います。
 でも日本にいる限り、金髪のボインちゃんとは、友達になることすら大変です。それに、もし交際が始まったとしても、自分のアパートに連れてきて一緒に暮らせるのか? ──でも当時はそんなふうに考えなくて、「やっぱ、金髪のボインちゃんだ!」と。
 しかも、「今度はアメリカじゃなくて、ヨーロッパの金髪ボインちゃんがいいなー」みたいな理由で買い換えたり。そういうクルマ遍歴でした。

 ずっとそんな感じで、クルマを選んでいたわけです。でも、雪山で何度も途方に暮れて、ついにさとったわけです。「雪山に行ってスノーボードをする」となったら、その目的に最も適したクルマに乗るべきだ、と。


 そう思って、雪山を走るのにいちばんふさわしいクルマを探すことにしました。

 雪山にふさわしいクルマの条件は、まず四駆であること。そして小さいこと。軽いこと。
 日本の山道は非常にワインディングで、高低差も激しいし、道も細い。「でっかい四駆」という選択肢もありますが、「でっかい四駆」の場合、もしスタックした場合には、大勢の人の手を借りないと動かせないわけです。またご迷惑を、おかけしてしまいます……。

 だから小さいことが大事。小さくて、シャープに動くことが重要でした。
 リサーチを始めると、「それに合致するのはスバルではないか?」とわかってきて、それでスバルをじっくり研究したわけです。

 

 

【雪山に強いクルマ=四駆であること+小さいこと+軽いこと】

 

 まず、スバルが、日本でいちばん最初に乗用車ベースの四輪駆動車をつくったことがわかったんです。
 東北電力の人たちが、現場巡回のためにクルマで雪の中を移動するとき、それまではジープを使っていたそうなんですが、「スバルなら、ジープより快適で、巡回に適した車両ができるのではないか?」と、スバルに──群馬と東北が地理的に近かったこともあって──開発を依頼したそうなんです。そしたら見事に、スバルは乗用車ベースの四輪駆動車を作っちゃったわけです。

 

――日本の四駆のパイオニアということですね。

 

 さらに調べるとね、スバルの四駆というのは非常に合理的なんです。
 スバルの四駆は「ボクサーエンジン」(クランクシャフトを中心に、180度、左右対称にピストンを配置するレイアウトのエンジン)を採用しています。
 ボクサーエンジンを作っているメーカーは、いま世界に3社あります。スバルとポルシェとBMW。BMWはバイクなんですけどね。

 ボクサーエンジンは、ピストンが水平方向に動きます。
 ピストンが水平方向に運動するので、シリンダーも横に寝た形。だからピストンが上下や斜めに動くエンジンと比べて、エンジンの高さを抑えることができます。エンジンの全高が低いと、クルマの重心も低くなります。重心が低いとクルマの安定がよく、バランスを取りやすい。

 それに、左右で対向するピストンが、互いの振動を打ち消しあうので、無駄な揺れが発生しません。無駄な揺れがないので、揺れないようにするためのクッション材を最小限にできるし、クルマを小さくできます。

 しかも、左右に向かい合ったピストンの動きを、真ん中に通したドライブシャフトで、前後のタイヤへと伝える仕組みです。左右の重心がど真ん中にあって、そのままの状態でバランスがいい。一般的なエンジンと違って、左右のバランスをとるための複雑な仕組みが要りません。

 飛行機は、左右のバランスが非常に重要になりますが、飛行機メーカーの流れをくむスバルは、クルマにおいて、それを実現できているわけです。しかもそのことによって、あらゆる無駄をそぎ落とすことができている。「これは理想型に近いんじゃないか!」と思いました。

 

──飛行機メーカーのDNAが、スバルの四駆に流れているわけですね。

 

 調べていくほどに、スバル車の魅力に「やられちゃった」わけです。
 実際問題として、スバルのクルマは優秀でした。それは何で証明されていたかというと、WRC、ワールド・ラリー・コンペティションです。日本ではラリーよりもF1の方がメジャーですが、ヨーロッパにおけるWRCは、F1と同じくらい人気のあるモータースポーツなんです。ラリーのF1と呼ばれるこのレースに、スバルはインプレッサを投入していたわけです。そして強かった。

 

 

【おしりも顔も大好き。無骨なあいつと、14年目に突入!】

 

 おまけにぼくは、インプレッサの形も大好きなんです!
 SF人形劇『サンダーバード』でいうと、ぼくは2号が好きでした。サンダーバード2号の、まあるくて、ちょっとヌメッとした感じの角処理が、おれの乗ってるインプレッサのおしりの処理に、通じるものがあると思います(笑)。

 しかも! ぼくのインプレッサは、「WRX」といって、ラリー車の仕様に近いハイパワーモデルのスポーツワゴンなんですが、マニュアル車だけでなく、オートマ車もあったんですよ。都内の移動でストップ・アンド・ゴーを繰り返すのはオートマじゃないと辛い。もし、このとき、WRXにオートマがなかったら……買うかどうか、悩んでいたかもしれないですね。

 WRXだ、オートマだ、「これだっ!」と。『旅人よ』の印税も入ったし、「もう、買うしかない!」と思った。
 もう、なにもかもすべてが揃っていたわけですよ。
 っていうか、そっちの方へと、自分からどんどん詰め寄っていったわけです(笑)。
 そういえば早稲田大学を目指したときも、そんなふうに、外堀内堀を自分で埋めていった感じがしますね。「やっぱバンカラがいいよ」「やっぱりおれは早稲田が好きだ!」みたいな感じで(笑)。

 

──実際に乗るようになってからは、どうでしたか?

 

 乗ってもばっちりでした。車体が軽いし、出足も早くて気持ちいいんだよねー。雪山だって「どんと来い!」です。みなさんに迷惑をかけずにすむようになりました。
 しかもめちゃめちゃカッコいい。さっき「おしりのデザイン的な処理がいい」という話をしたけど、おしりだけじゃなく、顔も好きなんですよ。見るたびに「カッコいいなー!」って思うくらいですから、いまでも。

 今年も車検を通したから、14年目に突入しました! いいクルマに巡り会いました。
 それまではけっこう頻繁に乗り換えていましたからね。ひどい人でしたね。あ、いまでもひどい人かもしれない。洗わないし、掃除もしないから。
 でも、とにかく、これまでの人生で初めて10万キロを超えましたからね。夢のようですね(ニッコリ)。

──14年目! おめでとうございます。どうですか調子は?

 

 上々です。悪いところはほとんどないです。やっぱ日本車はすごいですね。ドアの窓もちゃんとスムーズに上下するし。ときどきサンルーフが動かなくなるときがあるけど、すぐ機嫌が直るしね。あとはなんにもないですね。シートもへたらないし。掃除も洗車もしないから汚いんだけど……でも、それもエコだと思ってたりするんです。洗剤もワックスも使わないようにすることで、環境に負荷をかけない(笑)。

 いまのところぼくは、クルマの買い換えに積極的ではありません。というのも、スバルがまだ、画期的なエコカーを出していないからです。できれば「ボクサーハイブリッド四駆」を出してほしいんですが、ボクサーエンジンでハイブリッドにするのは難しいと思うんですよ。

 スバルはヨーロッパで、ボクサーエンジンのディーゼル車を出しています。ヨーロッパで販売される自動車って、ディーゼル車が半分以上を占めていて、その理由は、ディーゼル車の方が燃費がよく、環境にもいいから、ということらしいです。
 ヨーロッパで販売されているボクサーエンジンのディーゼル車は、近々、日本でも発売される可能性があると思います。クルマの買い換えは、それが出てから考えてもいいかなーと。
 あと、スバルはいま、ボクサーエンジンの小型スポーツカーをトヨタと共同開発してるので、それが出たら一応試乗はしてみるつもりですけど、それでは雪山に行けないですから。

 ぼくの場合、山道を行くとか、細い道や雪道を走るとか、目的がはっきりしてるから、インプレッサ以上のクルマは、なかなか見あたらないですね。「何かものを選ぶときに、軸になるものがあると、すごく選択しやすくなるんだな」というのが、インプレッサ・ライフで学んだことです。「見栄とかは入り込まないでいいんだよ」っていうことがわかった。

「あのクルマもいいかなー」なんて、思うときもありますよ。でもね、インプレッサに乗ると、落ち着いちゃうんですよね。あいつはすごい。無骨な相棒みたいな感じですね。